こんにちは、おっさんです。
マハトマ・ガンジーの有名な言葉に、こんなものがあります。
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」
この言葉、初めて聞いたときは「なるほど、深いなぁ」と感じたものの、最近あらためて心に刺さるようになりました。特に「明日死ぬかのように生きよ」の部分です。
永遠に生きるかのように学ぶ──これは案外、できているかもしれない
振り返ってみると、私はもう何年も、ブログを書いたり、アフィリエイトを試してみたり、AI音楽生成にチャレンジしたり、YouTubeチャンネルを立ち上げて音楽を発信したりしています。
年金や老後の生活資金のことも調べ続けていて、情報収集にはけっこう力を入れています。
そう考えると、「永遠に生きるかのように学べ」という部分は、ある程度実践できているような気もします。
学びには、資格を取ったり勉強したりという形式的なものもありますが、「試してみる」「やってみる」「調べてみる」ことも立派な学びだと思うんですよ。
そういう意味では、自分なりに新しいことに挑戦する姿勢は持ち続けているのかもしれません。
でも、「明日死ぬかのように生きる」は……?
こちらは、正直なところ、自信がありません。
私は今、雇用延長で仕事をしていますが、心からやりがいを感じているかというと、そうでもない。
収入があるという意味では“意味のあること”かもしれないけれど、「全力で今この瞬間を生きているか?」と自分に問うと、うなずけない。
休日はというと、ソファにゴロリと寝転んで、映画を観たり音楽を流したりして過ごすこともあります。それはそれで「贅沢な時間」とも言えるけれど、どこかで「こんなことでいいのか」「これって無駄な時間じゃね?」という思いも湧いてきます。
遺書も途中、やりかけのことばかり
「明日死ぬかもしれない」と思って、遺書のようなものを書き始めたこともあります。
でも、まだ途中。プリントアウトすらしていません。
ネット銀行や証券会社のログイン情報も、家族と共有していません。
やるべきことはたくさんあるのに、「まぁ、まだいいか」と後回しにしてしまう──。
ガンジーの言葉に照らせば、私は全然“できていない”のかもしれません。
それでも、今日この瞬間から少しずつ
ただ、こうやって立ち止まって、自分を振り返ってみること自体が、「明日死ぬかのように生きる」ための第一歩なのかもしれません。
完璧じゃなくていい。でも、せめて「これはやっておこう」と思うことをひとつずつ片づけていくことが、ガンジーの言う“今を生きる”ことにつながっていく気がしています。
たとえば──
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遺書を一枚、書き上げてみる
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パスワードを安全に共有する方法を調べてみる
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今日という日に「ありがとう」と思える何かをする
小さな一歩でいいんだと思います。
人生に“間に合う”とか“遅すぎる”なんてことは、たぶんありません。
おわりに
マハトマ・ガンジーの名言は、完璧な人にしかできないことではなくて、「そうありたい」と思いながら日々を積み重ねていくための道しるべなんだと思います。
「永遠に生きるかのように学ぶ」ことは、きっとこれからも続けていけそうです。
「明日死ぬかのように生きる」ことは……
もう少し、意識してみようと思います。(笑)
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